『広島はチンチン電車の街だ』

『広島はチンチン電車の街だ』<2019年8月5日(月)>
 「原爆から生き残った2両が現役でいる」。『余録』(190805)は続ける。「朝のラッシュ時だけの助っ人だが、レトロな車両は馬力不足でスピードが出ない。次第に後続の電車が距離を縮め、それらを従えて走る格好になるため『部隊長』というユーモラスなあだ名がついた。・・・実は原爆投下当時、路面電車の運転士と車掌の約7割は14歳から17歳の少女だった。・・・広島電鉄の家政女学校に通う女生徒が即席の乗務員になっていた。多くは勤務中に地獄を見ている。・・・『後輩を助けようと手を取ったらべろっと皮がはがれた。うちはそのまま逃げました』。少女車掌役の声と表情があの日に連れて行く。74年前の8月6日に」。
 (JN) 銃後の人々を巻き込んだ許されない大量殺人。この行為が多数の国で利用する戦争になったらどうなるのか。多くの人々に広島平和記念資料館を見て、時間して欲しい。人はこの恐怖を実感するのは、感情を揺さ振るだけのものを目にすることである。私は、40年ほど前、そう感じた。広島駅より路面電車に乗り、平和記念公園で降り、原爆ドームを直に見て、資料館をまわり、恐ろしさを実感した。これは広島でないと時間できないのであろうか。世界中に展示をして回ることを積極的にできないであろうか。この惨事をまずは、列車に載せて日本を巡ってはどうだろうか。車幅を改造して、日本中をチンチン電車で回れないだろうか。
# 原爆から生き残った2両
# 女生徒が即席の乗務員
# 74年前の8月6

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