『ある晴れた夏の朝』

『ある晴れた夏の朝』<2019年8月6日(火)>
 「徹底して話し合うことの大切さを教えてくれる一冊である」。『春秋』(190806)は小手鞠るいさんの小説『ある晴れた夏の朝』を紹介し、現実の愚かさを思う。「広島に投下された原爆を巡り、10代の米国人8人が肯定派と否定派に分かれ、討論する。・・・参加者らは戦争の愚や敵をも愛する人間の崇高さに目覚めていった。・・・さて現実はと見れば、脅迫やテロ予告のごとき陰湿で一方的な抗議が・・・名古屋市の芸術祭での『平和の少女像』・・・同様の事態が再び起きぬよう、わたしたち一人一人の覚悟も問われる。冒頭の物語、立場を超え若者8人が共感したもう一つの言葉があった。『過ちは繰返しませぬから』」
 (JN) 愚かな脅迫やテロ予告を行う者たちを動かす、更に愚かな者たちは何を訴えたいのであろうか。まずは、前に出て来い。ただ暴力的に人々を恐怖に陥れることで、何が解決できようか。話上手ではない者には、人前に出て話すのは嫌である。多くの者は話し上手ではない。だからこそ、寄り添って話し合うことが必要ではないか。それは、相手を罵倒したり、大きな声で脅しをかけるのではなく、互いを認め合う話し合いである。互いが存在し合うのは互いを認めることから始まる。自分自身にも言いたい。「話し合いから逃げるな」。
#ある晴れた夏の朝
#脅迫やテロ予告
#過ちは繰返しませぬから

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