『さざなみの雲が広がったところに巨大でグロテスク・・・』

『さざなみの雲が広がったところに巨大でグロテスクで陰惨な色彩のきのこ雲が不気味に浮いていました』<2018年8月9日(木)>
 1945年8月9日の長崎、『筆洗』(180809)は『100年のあゆみ』(長崎海洋気象台)の記録を伝える。「<落下傘が二つふわふわ降りてきよるバイ、おかしかねえ>。・・・所長が立ち上がった。<広島に落とされた新型爆弾かもしれない、早く防空壕(ごう)に…>。・・・<黄色のフィルターを>・・・<砂浜に寄せる白いさざなみそっくりな…雲は…その輪を広げていく>続いて<百雷が一時に落ちたかと思う爆発>。・・・世界には、今なお一万五千発の核兵器があるという。・・・あの時を思う必要がまだまだあると胸に刻む日だろう。」
 (JN) 原爆は使われていないが、今の世界ではどこかしらで戦争が続いている。その状態はどこも発展性のない破壊の連続である。世界は様々な関係でつながっており、他人ごとではない。でも、その悲惨さは、現実に伝わっていない。命がけで、その現実を今も伝えようとしている人々がいるが、そのことに私たちはあまりに無神経で、平気でいられる。これが73年前となると、更に遠い歴史の記録になっている。そして、体験者は減り、そしてその遺族も減っていく。やがて忘れられてしまうのか。今日行われた式典が何のためであるのか。私たちはこの8月の歴史繰り返さしてはならないことを忘れてはならない。