バレーボールと原爆禍

バレーボールと原爆禍
(朝日「天声人語」2015年4月7日) 39歳で早世した猫田勝敏さんが引っぱった全日本バレー。1972年のミュンヘンで金メダルに輝いた。その正確なトスが目に焼き付いている方も多いだろう。猫田さんが選手として所属していた専売広島、今のJTサンダーズがおととい、プレミアリーグで頂点に立った。創部84年にして初のリーグ優勝だ。70年前のあの夏の朝、当時の広島地方専売局では約千人が作業していた。爆心地から2キロ強。即死1人を含め四十数人が死亡したとバレー部史は記す。「人類の未来のために」。石碑に刻まれた文字が痛切だ。今も毎年8月6日には、JTの部員が練習前に黙祷をすると。折しもおととい、世界遺産原爆ドームが建設から100年を迎えた。辛うじて残った鉄骨や外壁が惨禍を物語り続ける。ドームであれ石碑であれ、記憶を後世に伝える役割は等しく重い。〈ヒロシマと書けば残りの日常の広島はもう祈らずよいか〉谷村はるか。今の平和を決して手放さないよう、日常の祈りの大切さを思う。
(JN) ミュンヘンのワールドカップ、眠気を押さえての応援であったか、もう昔のことで記憶が怪しいが、猫田のセッターとしてのあの技は忘れられない。自分も歴史の中にいた。私たちは常に歴史の中にいるが、その歴史は、その後の者たちが、記憶を記録の中に入れて行かねばならない。猫田の所属していた専売広島は、84年の歴史を持っており、今回、リーグ優勝と言う輝かしい記録を残すこととなった。これに係る者の念願が叶った。この長いチームの歴史の中で、被爆の歴史も背負っていた。広島にあるチームの辛い定めであろうが、この記憶を持つ人はどんどん少なくなる。我々は、記憶を記録に残し、未来へ正確に猫田のようにトスして行かねばならない。禍に目を瞑ってはならない、良く確認して伝えて行こう。
http://digital.asahi.com/articles/DA3S11691879.html?iref=comkiji_txt_end_s_kjid_DA3S11691879