『「夏の甲子園」は、1918年に開かれなかった』

『「夏の甲子園」は、1918年に開かれなかった』<2018年8月12日(日)>
 「『夏の甲子園』は、・・・1915年に始まったのに104回目となっていない」。『春秋』(180812)は夏の全国高校野球が途切れている年を紹介する。42年から45年にかけては太平洋戦争、41年は日中戦争の激化、そして、18年は米騒動であった。「西宮に隣接する神戸での騒乱が響いたらしい。三井、三菱にならぶといわれた大手商社、鈴木商店の本店や工場への焼き打ちは、一連の騒ぎのピークともいうべき事件だった。100年前のきょうのことである。鈴木商店が標的にされた背景にはコメを買い占めているとの噂があった。だが、・・・「風評被害」だったのである。大手新聞がことさらにあおった面もあった」。
 (JN) 夏の全国高校野球選手権は連続して行われていない。それが太平洋戦争のためであることは想像がつくが、それよりも前に、米騒動でも中止になっている。それほど、米騒動は社会を揺るがしたのであろう。歴史の教科書に載っているほどであるから、そうとうな社会不安を招いたのであろう。世界を揺るがした十日間の余韻の残る1918年、何がこれほど一般大衆を扇動したのであろうか。第一次世界大戦の好景気の中、米価格の高騰は庶民の心を揺るがしたか。やはり、ここにも戦争の影響があった。高校野球は平和の象徴なりか。現在、73年間連続でろうか、この連続が途切れないように、平和な時を継続したい。それは、日本だけでなく、地球上の平和を願う。