『#もし両腕があれば』<2022年3月8日(火)>
3月8日、故水木しげるさんの生誕から100年に『小社会(220307高知新聞)』は思う。水木さんは太平洋戦争で南方の激戦地に送られ、米軍の爆撃で左腕を失った。父は「おまえはもともと無精者で、両手を使うところを片手でやっていたんだから、一本で大丈夫だろう」と変な慰め方をした。後年の活躍は言わずもがな。「私は片腕がなくても他人の3倍は仕事をしてきた。もし両腕があれば、他人の6倍は働けただろう」。パラリンピックは、第2次大戦による負傷者の社会復帰が源流にある。本来なら平和と共生、水木さんも体現した人間の可能性を再確認する場のはず。なのに、ウクライナ侵攻。ロシアではますます異論が封殺され始めた。悲劇と恐怖をまき散らす指導者に、ロシア人の嘆きこそが届いてほしいものだが。
(私たちの)見えぬ世で、水木さんの生誕100年を祝いが行われているか? 見える世で行われているのは惨事である。途切れることなく続く。権力や強者は自分の存在を維持するために、平気で弱者を押さえつける。あなたはロシア皇帝であろうとするのか。ロシアの人々はまた自由のために立ち上がらねばならないのか。
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