『富士山頂の測候所「カンテラ日誌」は破棄されていた』

『富士山頂の測候所「カンテラ日誌」は破棄されていた』<2018年8月11日(土)>
 本日は「山の日」のためか、『余録』(180月11)は富士山測候所の「カンテラ日誌」について伝える。戦時中は気象以外の観測を命じられており、灯火管制の状況を点検していたという。米国の空爆が始まると、「西を見ると、赤石岳の左側が明るく、名古屋方面が(空襲で)火災のもよう。南西の浜松方面にも大火災。気持ちは文字では表せない」と。この日誌を「東京管区気象台が『廃棄した』という・・・個人的感想などが書かれた日誌は行政文書でなく、不必要なものをいつまでも保管できないと」嘆く。「なぜ図書館や研究機関に渡せなかったのか。・・・気象台も少しは先人に敬意を払ってはどうか」。
 (JN) 山の頂上は涼しいであろうが、こう暑くては山に登る元気も起きない。暑さのせいにする前に、あちらこちら故障が原因か。数百メートルの山でも、最近は登らなくなってしまった。あの頂上へ着いた時の達成感を忘れてしまっている。山頂からの下界の風景、連なる山々、あの感動を得るために、山へ行こう、行きたい・・・。楽しむ登山は良いが、富士山頂測候所の勤務は大変であったろう。その中で残してきた「カンテラ日誌」が破棄される。客観的でないからこそ価値があろうに、何か残しておいては不都合なことがあったのではないか。紙の記録は膨大になるが、生の声を残して行くのも、公的な業務ではないのか。私たちはそれぞれの立場で、記録の在り方を考えねばならない。規程や慣行ではなく、一つひとつその意味を検討したい。