『「安全文化の劣化」が指弾されていた機関への“退場勧告”がとうと

『「安全文化の劣化」が指弾されていた機関への“退場勧告”がとうとう出た』
 「安全上のミスが続く高速増殖原型炉「もんじゅ」を運営する日本原子力研究開発機構につき、原子力規制委員会はその交代を求める勧告を文部科学相に出す。」このことに、毎日新聞「余録」(2015年11月05日)は、過去に「『学習された無気力』と評したのは『何をしてもムダ』といわんばかりの機構の安全への無力感だった」と述べ、そして、「すでに1兆円が投じられ、今も年間200億円の国費を費やす『もんじゅ』だ。仮に廃炉で出血をおさえても、あまりにも高い安全文化の教科書代である」と。
 我々は、原子力のその恐ろしさを思いながらも、平和利用に期待をしていた。それは、安全であるということが大前提であった。しかし、「もんじゅ」だけでなく、原発は、巨額な寄付金でそれぞれの地域を寄付金中毒に貶める魔物にさえ見える。様々な困難はあるものの、それを支えている組織は大丈夫であろうと思うが、無駄で無能な組織であったのか。原発は、経済的でクリーンであったはずだが、とんでもない不経済で汚染を繰り返す代物であった。大正力松太郎は、どこまで原発の将来を考えていたのであろうか。金をつぎ込んで何とかするという野球球団も原発と同じであろうか。国は今後も、金をつぎ込んで組織も何とかして行くのか。(JN)