『一茶も毒キノコの美しさに化かされたことがあったのか』

『一茶も毒キノコの美しさに化かされたことがあったのか』<2018年9月17日(月)>
 「毒の成分が分かっているのもほんの一部にすぎない。キノコの世界は奥が深い」と『産経抄』(180917)は注意する。「今月9日、日光の男体山で採ったキノコを食べた栃木県内の男女4人が、吐き気や嘔吐の症状を訴えた。「ヒラタケと思っていた」と話していることから、ツキヨタケによる食中毒の可能性が高い。・・・9月上旬まで猛暑が続いた平成22年は、キノコによる食中毒が多発した。・・・秋の行楽シーズンを迎えて、要注意である。小林一茶は50歳を過ぎてから、故郷の信州に落ち着いた。秋にはキノコ狩りに夢中になった。〈化かされな茸も紅を付けて出た〉。一茶も毒キノコの美しさに化かされたことがあったのか」。
 (JN) 毎日、キノコを食べているが、さっぱりキノコの種類がわからない。なぜ、毒キノコと言うものが存在するのか。それも直ぐに痛かったり気持ち悪くなったりせず、時間をかけて死に陥れるのか。子孫繁栄のためであろうか。動物たちを殺し、どこかのキノコの栄養にするために、我が身を犠牲にする行為なのか。私たちは生態系の中に取り込まれて生き物に過ぎない。怪しかったら食べなければいいのだが、つい毒キノコを食べてしまうのは、探求心と欲望であろうか。秋雨の時期に入り、キノコはニョキニョキと出てくる。キノコは美しかろうがそうでなかろうとも、気をつけねばならないが、商品として茶の間に来るものはほぼ心配ないので、秋の味覚を大いに楽しもう。