『少年院にいるブラジルの少年たちは「ここで初めて・・・』

『少年院にいるブラジルの少年たちは「ここで初めてニホンゴ習った」と』<2018年9月16日(日)>
 「10年以上前に訪ねた関東の少年院はブラジルの少年たちであふれていた」。『春秋』(180916)は、海外からの労働力受け入れに疑問を投げかける。「助っ人と頼まれた日系人も、その多くがリーマン・ショックで職場を追われ、本国へ去る。そして平成が終わる来年4月、再び人手不足を理由に、新たな外国人労働者の受け入れが始まろうとしている。・・・検討会は日本語教育に限らず、医療や福祉など生活を支えるためのインフラづくりを進める方針だという。しかし国内総生産に占める教育機関への公的支出の割合を見ても、日本は経済協力開発機構加盟国で最下位にある。・・・外国人にまで目が届くのか不安が募る」。
 (JN) 誰しも排他的なものであるが、それでは社会で生きていけないので、共存していく道を互いに悩み見つけていく。それが市民であろうか。日本に住む私たちも同様である。そう、平常時は互いを認め、共存していられるが、非常時が大変である。経済不況によることだけでなく、自然災害においてもである。嵐や地震で、他国から来ている人々がどうであったのだろうか。少数者についての情報は入ってこないので、知らないことが多くあろう。美しい話は聞きたいが、ひどい話は聞きたくない。ある関東の少年院にいたブラジルの少年たちは、どんな理由で収監されたのであろうか。ブラジルの子供たちに、この小さな国を住みやすい所にするためには、何をすべきであったろうか。これから島国の精神は、如何にして行くべきなのであろうか。