(日経「春秋」2013/12/22付) サイ・ヤングの箴言(しんげん)が残る。「詩人と同様、投手とはつくられるものではなく、生まれてくるものである」。大リーグのあるコーチは「12人の投手がいれば、12種類の言語をしゃべらねばならない」と言ったそうだ。時代に一人二人という投手とは、かくも特異な男たちである。いまこの国でその代表は、楽天の田中将大投手をおいていない。「マー君神の子不思議な子」という野村元監督言の葉が、予言のように耳に残る。大リーグ挑戦は実現するのか。田中投手の来季が気になる。楽天球団が移籍に消極的だとも聞く。しかし、甚だ失礼な言い草ではあるけれど、いまの日本に田中投手の相手になる打者はほとんどいない。そこで白星を積む姿より、見たいのは、打たれるかもしれぬ相手に挑んで打たれてよし、抑えればなおよし、の姿である。ファンの身勝手とは重々承知だが、つくろうとしてつくれぬ投手だ。そんな舞台に立たせたい。
(JN) 経営者はどれだけ先のことをどれだけの視野で考えねばならないのか。強力なバッターと闘うために生まれてきた「マー君」を商品と考えるのか、神の子と考えるのか。皆の夢をかなえるのが選手であり、それを支えるのが経営者である。次のマー君目指す不思議な子が東北で生まれるチャンスを創ろう。大リーグで吠えるマー君を見たい。ゴールデンイーグルス球団の力量の見せ所である。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO64460000S3A221C1MM8000/