「怪童」、がむしゃら、野性といった形容が似合う名選手の記憶

(日経「春秋」2013/6/16付) 13日に68歳で死去したプロ野球の元投手、尾崎行雄さん、1961年、高2の夏に甲子園で優勝すると学校を中退、17歳で東映(現日本ハム)に入団した。とにかく球が速い。1995年にはベテラン審判へのアンケートで「戦後最も速い球を投げた投手」に選ばれた(読売新聞)。現役当時、球速を測る機械はない。155キロ、いや160キロか。ノンフィクション作家の後藤正治さんが、尾崎の豪速球の生みの親は「時代」だと書いている。経済成長へと歩み始めつつ「まだ貧しくつましい戦後を色濃く残す時代」に、少年は粗末な道具で毎日ただ野球に明け暮れ、夕飯には肉など入っていないカレーかジャコ飯を腹いっぱい食べるのが最高のごちそうだったという。最初の5年で98勝もしたのに、登板過多で肩を痛め、その後は引退までの7年に9勝しかできなかった。太く短い現役生活を直球にこだわり、「このやろう」という気持ちで投げ続けた。「怪童」と呼ばれ、がむしゃら、野性といった形容が似合う名選手の記憶は、時代の匂いをまとって今に伝わった。
(JN) あの時代は野球人だけでなく、自分も他人も体のことなど気にする出なく、一直線に飛ばしていったのであろうか。その頃の人たちは何を目指していたのか。敗戦から貧困から、夢見る世界へと、我武者羅にがんばった。そのお蔭で今の日本がある。私は生の尾崎さんを知らない。知っているのは、キンちゃんと一緒の尾崎さんだが、野球への愛は変わらなかったのではないか。ありがとう尾崎さん。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO56264210W3A610C1MM8000/