『大都会の真ん中で人の痛みに耳を傾けた「新宿の母」が亡くなった』

『大都会の真ん中で人の痛みに耳を傾けた「新宿の母」が亡くなった』<2019年12月29日(日)>
 新宿の母栗原すみ子さん)が亡くなった。『筆洗(191229)』新宿を思う。「流行歌。歌に出てくる新宿の人々の顔はあまり幸せそうに見えない。・・・新宿という町のまぶしさがかえってその裏側の悲しみや孤独を想像させやすいのか。・・・新宿三丁目伊勢丹の脇。一九五八年から占いを始め、相談者は五十年間で、三百万人を超えると聞く。・・・高度成長期。大都会の真ん中で人の痛みに耳を傾けた『新宿の母』。これもまた、記憶しておきたい『戦後日本』の光景である」。
 (JN) 不夜城、新宿、京王線で生活をしていた人生の前半の一つの古里とかもしれない。24時間文化を発信していたこの地、心も金も失った者があろうし、救われた者もあろう。残念ながら、私は「新宿の母」を知らない。伊勢丹の脇も歩いていた。多分、視界の中に入ったこともあろうが、人に流される私には記憶に残っていない。自分は何を思い歩いていたのか。周りの人々は何を思ったいたのか。あの頃の新宿はどこへ行ったか。高度成長期の新宿は歴史になり、「新宿の母」はいない。
#高度成長
#戦後の日本

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