<2016年9月1日(木)>
『ベラ・チャスラフスカさんだった。おととい74年の生涯を閉じた』
「三つの金メダルを手にし、当時はアイドルのような人気だった。」。「天声人語」(朝日160901)は亡くなられたチャフラフスカさんの死を惜しみ、また68年以降の彼女の人生を伝える。「『プラハの春』をきっかけに、運命が暗転する。自由化運動を支持する政治姿勢を貫いたため、体操界から追放された。自由を奪われ、監獄に閉じ込められるかのような日々を経て、89年の共産党政権の崩壊後に名誉が回復された。東日本大震災ののちには、岩手県の津波被災地から子どもたちをプラハに招待した。晩年はがんを患いながらも、講演などに積極的に顔を出した。体操の美しさとともに自由の貴さを世界の人びとに伝えた。」
半世紀前の東京オリンピック、記憶も薄れてきた。その中で、覚えているのは、アベベ、円谷、遠藤、東洋の魔女そしてチャフラフスカだ。その中で、チャフラフスカは、その時も近所の蕎麦屋のカラーテレビで一生懸命見ていたが、彼女の印象は、その後の運命も影響があろうか。苦労をされての74年間であった。あの美しい彼女の姿は、子供の目にも素晴らしく見え、彼女の自由への闘いはその後の大人になった私たちに訴えるものがあった。ご冥福をお祈りします。(JN)