『夏冬の制服に体操着やら何やら一式そろえれば・・・』

『夏冬の制服に体操着やら何やら一式そろえれば、諭吉先生が足早に消えていく』〈2017年12月5日(火)〉
 「文部省が1919年に、保護者の負担を軽減するため、『中等程度以下の学校」での制服廃止を決めた』。その際に、制服の在り方について意見があったことを」、『筆洗』(171201)は紹介する。「『そもそも高額な制服は不経済』、と評価する声もあれば、・・・教育における画一主義にまで議論は広がった。ある高名な教育者が『服装を自由にした方が、人間の訓練はできる』と主張したそうだ。制服ならば、どんな服装がその場にふさわしいか、先生も生徒も考えずに済む。だが、それを考えることも「人間の訓練」。今でも新鮮に響く教育論だ」。
 (JN) 明治の時代、制服はどこかの国の軍服のお流れであったと聞いたことがある。制服は軍国主義の象徴でもあろうか。私の制服の時代は3年間であった。中学生の時は、制服から帽子、体操服などが決められていたか。そんなに大きく成長をしなかった私だが、それでも2回ほどサイズアップをしただろうか。購入すればそれで経費が掛かっただろうが、私は親の知人からのお流れをいただいた。昔の制服は黒い詰襟で共通していたので、他校でもボタンを変えれば使えるという便利なものであったが、お仕着せ精神の元である。私たちはストームトルパーではない。