『児童虐待を宿してしまったかつての「子どもの楽園」』

児童虐待を宿してしまったかつての「子どもの楽園」』
 「幕末の日本を見て「子どもの楽園」と呼んだのは「大君の都」を書いた英国の初代駐日公使オールコックだった。」毎日新聞「余録」(2015年11月14日)は、その「子供の楽園」が「お互いの視線を隔て合う文明に学んで成功を収め、気がつけば児童虐待という病をその中に宿してしまった」と、そして「地域の視線もようやく苦しむ子どもに届き始めた。なのに肝心の救いの手が足りないとは……「楽園」の子孫としては情けなさすぎる」と述べる。
 夏の蒸し暑さから、日本の建物はそれに合わせて、風の通りやすいつくりであった。家は雨露を凌ぐため、外界と同じ空間であった。プライバシーなどというものは存在しなかった。それぞれの家庭の事件は、ご近所に伝わり、お世話をし合う。居間の窓に近所のおばさんが突然、現れる。プライバシーは、公的世界から女性や子供を隔離するためにある。そこは、各個人の支配地区である。世間様にはわからない世界だ。また、今では、法的にも個々の世界が守られているので、外の世界からの関与が難しいが、みんなで子どもを守らねばならない。そのためには、子供や母親のネットワークと世話好きなおばちゃんが必要なのだろうか。それに私たち一人一人が、他人に興味を持つことであろう。(JN)