五輪準備の停滞 選手第一の大原則に返れ
産経新聞「主張」(2015年9月2日)も、東京オリンピックのエンブレムについて語る。「新国立もエンブレムも、いわば大会の顔である。前代未聞のごたごた続きにはさすがに嫌気がさす。貴重な2年間を浪費し、スタートラインを自ら下げてしまった。安倍晋三首相は『五輪の主役は国民一人一人であり、アスリートの皆さんだ』と述べた。だが問題は、選手とは遠いところでばかり発生している。1964年東京五輪のマラソンで円谷幸吉が日の丸を揚げた「国立」は陸上競技場ではなくなる。これが本当に、『選手第一』の計画といえるのか。盗用、転用の指摘が相次ぎ、ついに取り下げられたエンブレムについては、これまで五輪組織委員会が正当性を擁護してきた。旧案に固執して問題をこじらせた新国立の迷走と同じ構図である。新エンブレムの問題も同様の経緯をたどりそうだ。これではなかなか、五輪を心待ちにする気分を取り戻せないではないか。」
多くの新聞が東京オリンピックのエンブレムについて語っている。競技場はどうなるのか。私たちは、オリンピックに何を期待しているのか。豪華な競技場や素敵なエンブレムも良いが、とにかく、我々の健康増進のためのスポーツ振興、日本の選手の活躍、オリンピック景気の方が優先されることである。とにかく入れ物がないと競技はできないので、作らねばならないが、せっかくゼロからになったからには、誰かしらの個人的思いをいれず、機能的なものを作っていただきたい。エンブレムは、1964年の再利用はできないのか。出来るだけ、過去の遺産を再利用して、選手たちの活躍への支援を厚くしたい。敷かれたレールは、ちゃんとゴールを目指しているのであろうか。そして、もう脱線は困る。ごたごたはストップ願う。(JN)