『指導者に不満の声を送り、国家的なイベントにノーを突き・・・』

<2016年8月7日(日)>
『指導者に不満の声を送り、国家的なイベントにノーを突きつける。そんな自由が、ブラジルにはある。』

 「春秋」(日経/16/8/7)は、「延々と続いたセレモニーの終盤、テメル大統領代行が開幕を宣言すると、マラカナン競技場のなかはブーイングに包まれた。競技場の外では、五輪の開催に反対する市民のデモ隊が治安部隊と衝突する一幕があった。何とか無事に閉幕まで。そう祈りたい気分ではある」と記す。でも、「指導者に不満の声を送り、国家的なイベントにノーを突きつける。そんな自由が、ブラジルにはある。」

 昨日の朝、久しぶりにテレビをよく見た。8時からの広島の中継である。「原爆死没者名簿奉納」、「献花」、「黙とう」、「広島市長の平和宣言」、「放鳩」の後、オリンピック開会式とチャンネルが移った。ブラジルの歴史の途中までであったが、結構な時間を費やした。でも、いつまでも見ていられないので、テレビとはお別れして、自室の片付けを行い、それから出かけた。帰宅後、やはり開会式が気になり、再放送を見る。「難民選手団」の入場は、やはり、なんとも言えない感動があった。テメル大統領代行のブーイングの中での開会宣言、華やかな競技場の周りでは、オリンピック反対のデモがあり、多様な人々の集まりのブラジルである。これに対して、4年後の日本はどうなのであろうか。「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」東京を世界に現したいものである。(JN)