『リオデジャネイロ五輪に難民選手チーム「難民五輪選手団」・・・』

リオデジャネイロ五輪に難民選手チーム「難民五輪選手団」を参加させることを決めた』
 「つまずいた場所から、ほどなく再スタートできる。『ドラクエ』の人気はやり直しの易しさ=優しさかもしれない」、「筆洗」(東京新聞/2016/3/6)は、ドラクエの人気の思いやりと易しさから、リオ五輪での優しさにを紹介する。『難民五輪選手団』、国旗も国歌もない。されど選手団の出場は、難民の方々にとって悲劇に負けずやり直せる勇気の証しにもなる。そのユニホームは希望。シューズは不屈。そしてゼッケンは平和への願いであろう。応援したいチームがもう一つできた。
 オリンピックは平和の祭典である。「難民五輪選手団」は、政治的なメッセージを直接示さず、現在の様々な悲劇に訴えることができるか。現状のオリンピックの選手は、国を代表しており、競技は個人の争いであるが国家間の争いになっている政治的なスポーツの祭典であり、また利権を生み出す資本主義の祭典でもある。このようなお祭りの中で、「難民五輪選手団」は私たちの心に何を与えてくれるか。あってはならない選手団であるが、この活躍を望む。(JN)