辺野古、司法に委ねれば解決するというものでもあるまい
(日経「春秋」2015/4/2付) 観光客をサンゴ礁に案内する船頭が海を大切に思っているかどうか。それは船をポイントに止めて、錨(いかり)を沈めるときに分かるという。海を本当に愛している人なら、サンゴのない場所を探そうと必死で目をこらす。世界で最も美しい海の一つ、沖縄の慶良間諸島で地元の人から聞いた話だ。辺野古の海で起きている対立も、サンゴを無造作に壊していないかどうかが当面の焦点になっている。双方のにらみ合いはなお続き、法廷闘争も辞さない構えだ。命令や訴訟の応酬ではなく、トップ同士が話し合い歩み寄ってほしい。多くの国民がそう願っているだろう。第一、司法に委ねれば解決するというものでもあるまい。諫早湾の干拓事業がいい例だ。湾をせき止めた堤防の水門を開く、開かないの対立が法廷に持ち込まれて、得られた結果が「開門しても、しなくても国は制裁金を払う」という今の姿である。県知事の指示を無効だとした農相だって、よくご存じのはずではないか。
(JN) 安倍政権が今一番大切なことは何なのであろうか。やはり、面子であろうか。いやいや、そんなものがないから、国益であろうか。そのためであれば、世界的な財産のである自然なんか、破壊されても良いのであろうか。しかも、右寄りの姿勢を取りながらも、米国には弱い。とにかく、何事の命も、失えば戻らない。時間をかけ出来上がったサンゴを破壊することで、何とか米軍基地問題を納めようとする。沖縄は、常に日本の政府の犠牲になってきている。そして、これからもそれが続くのか。一方で、辺野古の海を守ろうとする人々は命を懸けて頑張っている。私たちの守らねばならないものは何か、それはそこに生活する人が考えて守るべきであり、政府や司法は、それを守るべきであろう。
http://www.nikkei.com/article/DGXKZO85180900S5A400C1MM8000/