『辺野古遠望』

辺野古遠望』<2018年12月15日(土)>
 「本土で暮らす人々が、辺野古で起きている出来事を理解するには、うってつけの一書」として、『春秋』(181215)は沖縄の作家大城立裕さんの「辺野古遠望」を紹介する。「兄と東海岸をドライブし、道に迷った遠い記憶をたどる。那覇など都市部住民には、手つかずの自然が残る辺野古は『文化果つるところ』と映ったという。小説には、亡き兄が経営していた建設会社を引き継いだおいが、沖縄防衛局が発注する工事に入札すべきかどうか、ためらう場面がある。告発調ではない。この島でなりわいを営み、生きることの葛藤を、枯れた筆で描いている」。
 (JN) 私たちは何を一番大切にしなくてはならないのだろうか。今を生きるために、目の前の欲望と大きな力に負けて良いのか。言うは勝手だが、行動に起こすことは困難を極める。自然環境は私たちみんなの財産であり、私たちの生きてい行く状態を伝えてくれる大いなる母である。壊した自然を戻すことは大変であることを私たちは身を以て体験しているはずなのに、なぜに私たちは破壊し続けるのか。いつまで沖縄を犠牲にするのか。私たちは、平気で犠牲にする人たちを選んでいるのではないだろうか。沖縄に住む人たちの財産を勝手に荒らして良いのか。あの基地は何のためにあるのか。いつまで、米国の属国であり続けなければならないのか。