平和と安定を考え抜く政治家が見当たらない
(日経「春秋」2015/3/18付) 「愛というのは、その人の過ちや自分との意見の対立を許してあげられること」と、ナイチンゲール。また、「私は地獄を見た。私は決してクリミアを忘れない」と。泣き、叫び、看護師に怒鳴り散らす者もいた。人間のエゴが渦巻く壮絶な現場だからこそ、寛容の精神を説く言葉に重みがある。それに比べて、政治指導者の発言の何と軽いことか。ロシアがクリミア編入を宣言して1年がたつ。住民投票の結果に従ったという当初の説明をあっさり翻し、プーチン大統領は全く違う真相をテレビで得意げに語った。ウクライナで親欧米派が政権を握ったからクリミアの奪取を決め、核兵器の準備までしていたという。見回せばナショナリズムとポピュリズムが世界にあふれ、平和と安定を考え抜く政治家が見当たらない。「自分が称賛されるためでなく、この仕事に名誉をもたらすために心して事を成し遂げていこう」。ナイチンゲールの言葉を世界の指導者たちに聞かせたい。
(JN) 人間は欲の塊であり、その塊が物事の価値を定めている。その欲がある故、これだけの文明を作り上げ、その破壊と創造を繰り返してきた。それが良いか悪いかは別として、その欲ために常に犠牲になるものが生じている。その犠牲者に何時自分がなるかわからない。また犠牲者なりたくないので、他人を犠牲にしようとする。その繰り返しだ。弱い者は他人を愛していては自分の命が儘ならない。そのように人をけ落とし何とか生きているが、もしも、ナイチンゲールのような愛により、その命を生かされれば、人生も変わるであろうか。そういう人物はいるのか。そういう人物がいても、私たちはそれを理解することができない。それゆえ、プーチンは支持されるのであろう。世界平和を愛するために、他国の過ちや意見の対立を許すことができる人物は現れるであろうか。
http://www.nikkei.com/article/DGXKZO84529990Y5A310C1MM8000/