世界のイスラム教徒とともに、「イスラム国」を憎む

(日経「春秋」2015/1/25付) 「きょうはプレゼントを持ってきました」。イスラム教徒が祈りのときに用いる数珠、東京拘置所の面会室にて、海賊行為を働き日本で有罪判決を受けたソマリア人と後藤健二さん。2年前の2月である。ソマリア公用語のソマリ語と日本語との通訳さえ見つからない遠い国だ。その裁判に、後藤さんは自ら現地を取材して集めた資料を証拠として供し、孤独のなかで心を病んだソマリア人を拘置所に見舞っていた。もちろん、海賊行為の悪質さ、野蛮さを憎んでいただろう。一方で、犯罪を生む国の貧困、混乱を理解し、なにより異国の獄中にあるイスラム教徒の心のうちを想像する力があった。新たに公になった画像には、戦慄以外の言葉が思い浮かばない。過激派「イスラム国」の身勝手な言い分を後藤さんに語らせた音声もついている。世界のイスラム教徒とともに、「イスラム国」を憎む。
(JN) 何故に世の中は、これほどの様々な格差があるのか。生まれた家庭が貧困であり、生きるか死ぬかの中で、その生活を支える手段の選択もない者は、暴力行為に及ぶ。でもその選択を与えた者は誰なのだろうか。自分の置かれている環境において、みんなが生きることに精いっぱいで、互いに惻隠の情などないのが現実である。その現状を恨み、生活のために、ある者から奪う。この環境を如何にするか。生活を維持するための方法を知ることであり、得ることである。しかし、ある指導者はこの憎しみや恨みを利用し、若者たちをさらに過激に走らせる。自分たちの敵、悪者を作り出し、そこへ恨みのエネルギーを向け、その指導者の富・地位は守られる。恨みの暴力行為は、次の被害を受けた者へ及び、暴力を憎み、恨みの連鎖が生じる。この暴力行為を憎み、そしてこの環境を憎み、惻隠の情を望む。
http://www.nikkei.com/article/DGXKZO82362650V20C15A1MM8000/