不満や破壊衝動を抱えた若者の受け皿に「イスラム」が

(日経「春秋」2015/1/26付) 中東について大学生にリポートを書かせると、「私たち平和な日本からは想像できない……」。文化や宗教が違うから戦争もテロも仕方ない。そんな意識がのぞくという。30年近く前、リュックを背負い、この地域を旅したことを思い出す。気のいいケーキ屋の店主がいた。眠気を隠さない安宿の受付係のお兄さんがいた。時に大きな流れに翻弄されつつ、みな懸命に働き、日々をしのぐ、我々と同じ人々だった。80年代以降は戦争や経済統制が続いた。人口に占める若者の比率は非常に高く、教育を受けても就職先に乏しい。「暗い時代」を生きる膨大な若者層のエネルギーが内にこもり、極端な主張への憧れや死の礼賛が広がったとみる。かつての左翼イデオロギーやカルト系の新興宗教などに代わり、不満や破壊衝動を抱えた若者の受け皿に「イスラム」が使われている側面を指摘する。この種の運動がどんな末路をたどるかは、歴史が語っている。
(JN) 現状の体制の中で若者は、貧乏で現状に不満を持ち改革を望む。現状に不満を持っているのは若者だけではなく、若者のその力の方向を掴み、過激な行動に駆り立てる者がいる。なぜに、過激になるのか。ペンやメガホンでは無理なのか、武器を持ち殺傷行動をとる。その際には、若者たちの死を美しくコーティングする。人の命を犠牲する発想がなぜあるのか。若者のエネルギーの発散は、他に方法があろう。多分、若者を扇動するものは老い先短く、短期的な暴力的行動をさせるのであろうか。若者たちよ、そのような未来のない者の破壊的な発想に溺れず、高く広く長い精神を自ら育てて人類の未来を考えて欲しい。それは、平和な日本の若者も同様である。気をつけなければ、この美しい日本がまた戦火に陥るのである。
http://www.nikkei.com/article/DGXKZO82373460W5A120C1MM8000/