なぜ、イスラム国に若者が蝟集するのか

なぜ、イスラム国に若者が蝟集するのか
(日経「春秋」2015/3/20付) 3分の1は獣。3分の1は機械。3分の1は堕天使。獣で機械で悪魔、それが人間なのだ(仏文学者の渡辺一夫)。人間は、恐ろしい本性を克服する努力を諦めないこと。狂気、不寛容、暴力の発作が二度と起こらぬようにすること。20年前のきょう起きた地下鉄サリン事件のときがそうだった。おとといのチュニジアのテロも、過激派「イスラム国」のこれまでの蛮行もそうだ。しかし、なぜ若者はオウムにひかれたのか、という同じ問いを、世界はいま、イスラム国に若者が蝟集(いしゅう)する姿に発する。「いかなる暴力行為にも美名を与えるだけの知恵(ヽヽ)も良心(ヽヽ)も持っている」。人間のそんな面を常に省みる以外に進歩はないと、渡辺は説いた。その声にもう一度耳を傾けている。迂遠(うえん)は承知のうえである。
(JN) 人は信ずるものが必要だ。その一つが宗教である。私たちは、信ずるものに逃げ込むことができる。信ずるものが無くなると、死の世界へ行ってしまう。信ずるその考えが、この世界を救済する。その為には犠牲者が出てもいいという考えを引き出すと、同志以外の者を殺戮しても良いこととなる。ひょっとして、日本が世界を救済すると言う考えも、似たようなところがあったのか。私たちは、優しい声や、都合のいい話に簡単に騙されてしまう。この世の中が悪いので変えたい、それはわかるが、その方法は、お互いの存在を認め合うコミュニケーションでなければならない。迂遠かもしれないが、人々は、自分の野獣の心、機械の心及び堕天使の心の三者と、私の本心とでの話し合いを行い、誘惑に負けないことか。安易な道には悪魔が潜んでいる。なぜ、そんな道に私たちは蝟集してしまうのか。
http://www.nikkei.com/article/DGXKZO84624810Q5A320C1MM8000/