73年前、真珠湾攻撃の戦果の興奮に包まれていた

(日経「春秋」2014/12/9付) 終戦間際の話だ。もし米軍が海から東京周辺に上陸したら、北関東の戦車部隊が迎え撃つため南下することになっていた。しかし、大八車を引いて北へ逃れる人の群れで道はごった返すだろう。どうすればいいか。尋ねられた上官は言ったという。「踏みつぶしていけ」と。問いかけた当の戦車兵だった作家・司馬遼太郎は後に、この一事が戦争とは何かを集約する「いちばんのことだった」と振り返っている。司馬は「なぜ、こんなばかな国に生まれたんだろう」と考えていたという。作家・山口瞳は、「一緒に冗談を言いあって遊んでいた兄が、隣の評判の孝行息子が、応召で戦地に連れていかれたと思ったら、たちまちにして遺骨になって帰ってくる。それが戦争なんだ」。73年前のきのうきょう、この国は真珠湾攻撃の戦果の興奮に包まれていた。踏みつぶされぬ。灰にはならぬ。そんな国であり続けないといけない。
(JN) 兵隊は、何のためにあるのか。兵器を以て国の財産を守るのであろう。その国の一番の財産は、国民である。その国民の蔑ろにするような国は、存続できない。それが、第二次大戦の際の日本であった。その血は、私たちの中にまだ流れているようで、戦争をしたがっている輩がいる。その戦争をしたい者は、弾の届かないところに居るのであろう。「〇〇のために死んでまいります」などともう言うようなことのない国にしなければならない。戦争をして喜ぶのは、いったい誰なのか。戦争は、私たちの精神を異常にさせ、殺人を平常な行動に思わせる。そんな状況を二度と生じさせたくない。
http://www.nikkei.com/article/DGXKZO80672250Z01C14A2MM8000/