禁令はそれ自体が人々を縮み上がらせる

(日経「春秋」2014/12/10付) レバ刺しを出した焼肉店経営者ら逮捕――。この1年ほどの間に、こんな摘発が2度もあった。おととしの夏に食品衛生法で牛の生レバー提供が禁止となり、やがて警察は強権発動に踏み切ったのだ。法律が独り歩きするケースの見本かもしれない。条文があればその執行は辞さないのが警察や検察というものだ。きょう施行の特定秘密保護法をめぐる不安もそこに根ざしている。秘密指定の対象も細分化してはいる。しかし、それでもなお曖昧な部分が多く、間違った指定を防ぐための仕組みも堅固ではない。「知る権利」は尊重すると言いつつ厳罰が控えているのだから、この法律のいやな感じはなかなか払拭が難しい。禁令はそれ自体が人々を縮み上がらせ、実際に摘発例が出ると威力が倍加する。よもや秘密法の運用がそういう展開をたどるとは考えたくないが、レバ刺しの件を思えば高をくくってもいられない昨今だ。そして困ったことに、レバーは生か焼きか見ればわかるけれど、特定秘密は何がそれなのか向こうにしかわからない。
(JN) 下々の組織は、情報公開を強要され、相当不都合な情報も公開して行かねばならない。そんな不都合な情報があるからいけないのであろうが、行政側はどうなのであろう。国にとって、世に曝しては困ることがどれだけあるのか。基準が明確にできないのはなぜなのか。行政の誤りを正せなくなるのか。せっかくの調査も、不都合だとそれを止められてしまうのか。だまし討ち、後出しジャンケンも辞さないのか。強き行政の正義に味方の「特定秘密保護法」は、まずはどんな手柄を立てるのであろうか。
http://www.nikkei.com/article/DGXKZO80732640Q4A211C1MM8000/