『一九五八年元旦の午前0時/ほかほかといちめんに・・・』

『一九五八年元旦の午前0時/ほかほかといちめんに湯煙りをあげている公衆浴場はぎっしり芋を洗う盛況』<2018年1月1日(月)>
 内湯が少なかったころの東京は、年越しの時間まで戦闘はにぎわっていたと、『筆洗』(180101)は石垣りんさんの詩で情景を紹介する。そして、「貧しさも残っていたはずだが『女湯』の明るさには戦禍も遠く去り、日々の生活をかみしめる喜びも含んでいただろう。さて六十年後の『女湯』に笑い声はあるか。景気は悪くはないというが、政権に恩を着せられるほどの実感はない。人口は減る。高齢化は進む。北朝鮮情勢は見えぬ。平和とは無縁な勇ましい言葉も聞こえる。ぼんやりした不安が消えない。二〇一八年の笑い声を想像する。笑い声の中にはあきらめややけっぱちな気分が混じっていないか」と。
 (JN) 小学校低学年までは母親に連れられて銭湯へ行っていた。半世紀以上前のことゆえ怪しい記憶だが「女湯」は笑い声でにぎやかであった。敗戦から十数年を経ても庶民にはまだ戦争の傷跡が残り、そして貧乏であったが、将来に夢を持っていた。我が敗戦国は戦勝国の後押しおかげで発展してきた。否、その後の戦争のおかげで日本は発展してきた。冷戦、朝鮮戦争およびベトナム戦争の犠牲が、日本の繁栄であったかもしれない。我が家は、1960年代に入り銭湯へ行くことはなくなったろうか、額ほどの庭に風呂の小屋を作り、狭い部屋に家具が増えていった。1958年から60年経ち、戦後は実はまだ終わっていない。ひたすら経済成長を目指しながら、政治の課題は残されてきた。否、経済大国かと思えば借金大国、政治も経済も先延ばしをいつまで続けるのか。そういう政治家を選んでいるのは庶民である。未来に希望を持つためには私たちは何を選択するか、心の銭湯にて我が身を洗濯して、新たな選択を模索しよう。