(日経「春秋」2014/7/25付) 「小生今迄(いままで)にて尤(もっと)も嬉(うれ)しきもの、初めて東京へ出発と定まりし時、初めて従軍と定まりし時の二度に候」。明治28年2月、正岡子規は同郷の友人だった五百木(いおき)良三にこんな手紙を出している。前年からの戦争で日本は破竹の進撃を続け、世の中には対外硬(たいがいこう)と呼ばれるナショナリズムが満ちていた。その急先鋒(せんぽう)の思想家が五百木で、子規はずいぶん影響を受けたという。写生の俳人らしからぬ、高ぶった言葉を多く残している。そんな戦争の勃発から、きょうで120年になる。大国を相手に近代戦で勝利した体験は以後の日本に大きな影響を与えた。戦いを辞さぬ強い姿勢こそが国家の独立を保つという意識が、人々の心をとらえていった近代である。五百木は、やがて日露戦争後にも対外硬を唱えて日比谷焼き打ち事件のきっかけをつくった。勇ましい言説には仇(あだ)がある。それを知るためにも歴史を学ぶ必要があるだろう。
(JN) 人は愚かであり、同じ過ちを繰り返してゆく。なぜに人を殺めることを賛美するのか。そんな無用な殺戮を行うよりも、お互いを信用し合い文化と経済発展に尽くすべきであろう。世界の指導者たちは、どうして勇ましい言説をもてあすぶのか。歴史に学ぶことなく、今の自分を歴史に残そうとするのか。日清戦争から120年経っても、日本指導者の精神は変わらぬものか。でも、世界の中で日本を存続させることは、仇ではなく情けであろう。近隣諸国と情けを交わし、仇をつくらないことである。勇ましい戦いの歴史を想うのではなく、そのために起きた悲しい現実を学ばねばならない。それは与えたこと、受けたことどちらもである。
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