地雷があちこちに埋め込まれた戦場として食料品店を見る

(日経「春秋」2014/7/26付) アイスランドを原産地とするカラフトシシャモがベトナムで加工され、最後は日本の消費者の胃袋に向かう。輸入された冷凍シシャモに殺鼠(さっそ)剤とみられる異物などが混入していたとされる事件は、普段の食生活を支える仕組みの一端をくっきりと映し出した印象がある。グローバル・サプライチェーン、この冷凍シシャモを輸入した山口県の会社によると、ベトナムで加工に携わっていたのは台湾資本。1匹のシシャモに、なんと多くの国名や地名がかかわっていることか。中国から仕入れていた鶏肉に期限切れの疑いが浮上したように、いまや日本人の食事は海外にどっぷりと依存している。「地雷があちこちに埋め込まれた戦場として食料品店を見る」。米国の食肉汚染に関する調査報道でピュリツァー賞を受賞したマイケル・モス記者は、食品産業について書いた本の最後にこう記している(「フードトラップ」本間徳子訳)。最終的な選択権は消費者の手にある、とも。つらい気分でうなずかざるを得ない。
(JN) 如何に安く作り、利益を得るか。安くしようとすれば、それだけリスクや労働者の負担が大きくなり、あるラインを超えると何かが発覚する。一つの商品ができるまでに様々資本が利益を得ようと入り込んでくる。その一つ一つの資本が規則を守り、倫理的に行動しているかなんて、我々消費者は、目の前に出てきた商品の姿しかわからな。それ以前に何がなされているのか、疑うと恐ろしく加工品は食べられなくなってしまう。では、田畑を自分で耕して、自分で加工して行くわけにもいかない。とりあえず、地雷を踏まない自己防衛として、自分で商品の吟味というところなのか、それとも、晴耕雨読の生活に入りますか。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO74773680W4A720C1MM8000/