『戦争は国民生活に傷を残す。しかしその傷ゆえに人は世代を超えて未来を描こうとし、その営みの中で記憶は生き続ける』<2018年6月25日(月)>
「おとといの23日、沖縄は梅雨明け宣言とともに「慰霊の日」を迎えた」。『春秋』(180625)は、その時の83歳の女性の言葉を伝える。「戦争は起こらないでほしい。もうあんな思いをする人がいてはいけない」。そして、歴史学者の成田龍一さんの呼びかけを紹介する。「『から』の歴史、『にとって』の歴史を考えよう。・・・沖縄から見た歴史だ。地元で作られた子供用教材を開き年表を見ると、まず大戦末期の沖縄戦の記述が詳しい。1945年から戦後期が始まるが、それも72年を境に『米軍支配期』と『現代沖縄』に分かれる。例えば沖縄以外で育った若者のうち、どれくらいの人がこうした感覚を共にしているだろう。・・・戦争は国民生活に傷を残す。しかしその傷ゆえに人は世代を超えて未来を描こうとし、その営みの中で記憶は生き続ける」。
(JN) あの沖縄戦の映像の一部を見るだけで、その恐ろしさに何も言えなくなる。日本は沖縄を放棄し、そして、既にいくつかの都市が空爆に遭い、更に原爆を落とされた。なぜ、沖縄の一般市民がこんな目に遭わねばならなかったのか。これ以前に、上陸戦を回避できなかったのか。それ以降も、何もできず、8月をまで待たねばならなかったのか。そして、敗戦後は米軍の占領地として国家が存在している。沖縄にとって日本はどうあるべきなのか。日本から見た沖縄、その歴史はどんな歴史であったのか。日本のリーダーたちは73年間どこから何を見て来たのか。いつまで、沖縄を犠牲にして、アメリカのご機嫌を取っていくのか。