(日経「春秋」2013/9/14付) シンザンが3冠を取った年に、その年、1964年(昭和39年)はスポーツの当たり年だった。もちろん東京オリンピックがあった。そして王貞治氏が55本のシーズン最多本塁打を記録した年でもあった。それから49年、ヤクルトのバレンティン選手がその記録に並んでいる。残る試合は20、更新は間違いなかろう。楽天・田中将大投手の開幕21連勝も大したものだし、アメリカではイチロー選手の日米通算4000安打も。今年はプロ野球の当たり年である。「55」は高い、いささか理不尽な壁だった。ホームランは投手の責任? 責任を逃れるため、55を守るための四球がいくつあったことか。日本に来る外国人選手はいまだに「助っ人」と呼ばれる。戦いの主役でなく傭兵(ようへい)、という意識がのぞく。意識は「非実力障壁」となって、バース、ローズ、カブレラという長距離打者をはね返した。その壁をバレンティン選手が乗り越え、最高の勲章の一つを手にする。野球好きなら人生の節目に重ねるに足る大事である。
(JN) 国技と言われる相撲はもう実力ある諸外国出身の力士が優勝を重ねている。助っ人でも傭兵でもない。なぜ、日本プロ野球には外国出身者に対して差別をし続けているのか。ここにも保護主義あるのか。日本プロ野球はTPPの影響を受けないのか。保護ある限り、創造的発展は難しいので、様々な障壁を取り除き、アメリカ大リーグの魅力に近づけたい。せっかくの飛ぶボールのこのシーズン、まずは、バレンティンに60本以上打ってもらおう。いや、大リーグ記録を追い越せ。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO59724120U3A910C1MM8000/