人間に痛めつけられた自然は、ときに激越な反応を見せる

(日経「春秋」2013/9/13付) 北原ミレイさんの「石狩挽歌」、「海猫(ごめ)が鳴くからニシンが来ると〜〜」。「あれからニシンはどこへ行ったやら……」。魚群は消え、漁師たちも散った。明治の最盛期に小樽、留萌などの水揚げは合わせて97万トンを超えていた。それが昭和30年代前半を境に春が来てもニシンの群れはほとんど来なくなる。海水温の上昇、乱獲、森林伐採や海岸線のコンクリート化で海への栄養が断たれたことなどが原因という。人間に痛めつけられた自然は、ときに激越な反応を見せるのだ。この秋はサンマの不漁が続いている。原因のひとつはやはり海水温の上昇で、三陸あたりの沖合の温度がサンマの好む15度以下まで下がらないという。今年の不漁は極端だが、この大衆魚もじつは近年、漁獲が不安定なのだ。ウナギに手が届かなくなり、クロマグロも減り、サンマまで貴重品の仲間入りでは困る。海にひしめいたニシンの消滅からいろいろと学ばなければなるまい。
(JN) 我々市民の魚はどこへ行ってしまうのか。私たちの行っていること一つ一つが自然環境を変化させて、それが私たちに反ってくる。そのためその対策を行いまた環境を変えるという繰り返しになるのか。その中で、大事なものを失っていくのであろうか。自然とともに、その中に溶け込んで暮らすなどという贅沢はいつまでできるか。それよりも、今は秋刀魚をいっぱい食べられる環境を取り戻したい。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO59660320T10C13A9MM8000/