『投げすぎによる故障を防ぐためという監督の決断』

『投げすぎによる故障を防ぐためという監督の決断』<2019年7月27日(土)>
 大船渡高校の野球部監督の選手起用に賛否、これを『筆洗』(190727)は人見絹代さんの話から始める。御存じ彼女の功績と短い人生をどう考えようか。「この身はここで砕けても、勝ちたい、期待に応えたい-。・・・甲子園を目指す岩手大会決勝で大船渡高が敗れた。高校生レベルをこえた剛速球を投げる三年生、佐々木朗希投手を温存しての敗退だ。投げすぎによる故障を防ぐためという監督の決断である。あとはどうなっても-と投げるのは今ではないという判断だろう。・・・別のやり方があったのではないかという声も上がっている。正解を出すのは容易でない。ルール作りへの大きな一石を投じることになりそうだ」。
 (JN) 無理が祟って片や肘を早く壊してしまい、選手生命を失った若者がどれだけいるのだろうか。悲しいかな日本の組織は、構成員を大事にしないことが多々ある。高校野球は特にエースを犠牲にしてしまう。それでよいのだろうか。そんな思いをその野球チームに直接かかわっていないプロ野球ファンの私は、勝手に、無責任に、「良い選手を壊すな」と甲子園への道を思う。そういう私からすれば、大船渡高校野球部の国保陽平監督の行ったことは当然と考える。ご自分の日本や米国での経験や大学で学んだ結果であろう。なぜ、登板を準決勝で温存して、決勝へ持っていけなかったとの意見もあろうか。でも、一人ひとりの選手の心身を大事にする行動と決断に賛同したい。この考えを同チームの部員が理解するのは難しいかもしれない。勝つということがその一瞬ではないことの意味を高校の先生として、国保監督は今後どう生徒たちに浸透させていくのであろうか。いずれにしても、皆、頭を冷やして生徒の気持ちを考えよう。
# 佐々木朗希投手
# 国保陽平監督
#大船渡高校野球部の決勝敗退

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