国力を高める(1) 目標設定で「明るい明日」切り開こう

(日経「社説」2013/1/1付) 日本の国の力がどんどん落ちている。手をこまぬいていては、この国に明日はない。まず大事なのは目標を定めることだ。戦後を考えると、だれもが等しく豊かで自由な社会をつくるという共通の目標があった。吉田茂元首相が敷いた軽武装通商国家の路線のもと、経済大国をめざした。経済再生のための目標をどこに置くのか。国民総所得(GNI)という指標を新たな物さしにしてみてはどうだろうか。「投資立国」の勧めである。GDPに海外投資の利益を加えたのがGNIだ。個人や企業の内外での稼ぎを総合的に示す。ただ、GDP自体が増えない限り、GNIの大幅な拡大も望めない。これからの国家のめざすべき方向も示す必要がある。ひとつの提案は「科学技術イノベーション立国」の勧めである。日本は官民合わせて11年度に約17兆円を科学技術に投じた。東日本大震災に見舞われた同年度も投資額は前年度比1.6%増えた。GDPの3.7%は、米国の2.9%を上回る。日本は今や、生命科学や先端材料などいくつかの分野で間違いなく世界をリードする。社会の目標としては、東日本大震災をきっかけに高まった共助の精神も忘れてはならない。こうした目標を達成していくためには政治の安定が欠かせない。深刻な対立がつづく日中関係は、危機回避の戦略を確立する必要がある。国力のもとである人口が増えない。12年に日本の人口は約21万人の自然減となった。松江市が1年間で消えていく数だ。どうにも少子化に歯止めがかからない。だが、悲観ばかりしていてもはじまらない。大きな国家戦略のもと、新たな価値を創造する力を磨いていけば、明るい明日は必ずやくると信じたい。吉田茂元首相は、回顧録『回想十年』の中で「復興再建の跡を顧みて」と題する章を、次のようなことばで結んでいる。「日本国民よ、自信を持て」
(JN) 国力を高めるというが、その必要があるのであろうか。誰もが同じ方向を向く必要があるのであろうか。我々の精神は自由でなければならない。経済力あっての生活というが、目的が経済力になっていないか。資本主義の価値観の相対的な基準の中で豊かになってきたが、個々の我々は押し付けられた豊かさの価値観で満足していた。一斉に先生の方を向いての授業を受け続け、就職活動を一斉行い、一斉に我武者羅に働いてきた団塊以前の世代の時代は終わらねばならない。今、多様な我々の多様な目的があるはずだ。ある事柄について、意見が一人でも多い方が勝ちで、その通りに全員が従わなければならないという考え方ではまずいのではないか。過去となる人たちの価値観から若い者は脱出し、日本の20年後30年後を考えて「明るい明日」を切り開いてほしい。と言いながら年寄りは、そのためには投票をちゃんとしろ、結婚して子供を育てよと、また価値観を押し付けるのである。そして、勝手ながら、「若者よ、目標設定せよ、自信を持て」。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO50212090R00C13A1PE8000/