『良品は自ら声を放たず、これを求めた人々によって・・・』

『良品は自ら声を放たず、これを求めた人々によって広く社会に伝えられる』<2018年4月7日(土)>
 「経済の歩みとともに生活を彩ってきた家電群である。それを前にするにつけ、先が見通せないことへ心配が募る」。『春秋』(18047)の執筆者は、パナソニックミュージアムにて思う。「この次はいったい何が来るのだろうか? そんな思いがこみ上げてくる。洗濯機に冷蔵庫、ビデオデッキ……。新芽がもえ出て、やがてむせかえる緑の時期を迎えるように、経済の歩みとともに生活を彩ってきた家電群である。それを前にするにつけ、先が見通せないことへ心配が募る。ものづくりイズムは不安を抱える人のニーズに寄り添えるか。産業界全体の課題であろう」。
 (JN) いつまで日本は米国経済に付き合っていかねばならないのか。いつまで物質経済の中で生きていかねばならないのか。老人国家に向かっている日本が、生き生きとした経済を取り戻すことができるのか。老人に思い切った活動ができようか。新陳代謝の減少する国家に、新たなものが生まれるのか。今あることで何とかしようとしても、生成発展の見込みはないのではないか。もし、これからも量的拡大による経済発展を目指すならば、この年寄りの幸福社会から若者の未来希望型社会にせねばならないが、もうそんな米国式の大消費経済社会を目指す必要があるのか。架空の世界での数字のやり取りの経済をいつまで続けるのか。私たちはそのようなものを何時まで望むのか。人々はそこに価値を求めてなんとするのか。日本の電機の未来はどうなのだろう。商機は違う世界にあるのではないか。