『#私を最後にしてほしい』<2022年8月9日(火)>
長崎の「原爆の日」に『正平調(220809神戸新聞)』は思う◆4年前、姫路市吹奏楽団の演奏会で初めて「ラッキードラゴン~第五福竜丸の記憶~」を聴いた。感情を揺さぶられた記憶がある◆1954年春、第五福竜丸は米国の水爆実験による死の灰を浴びた。この惨事をテーマに米国の社会派画家、ベン・シャーンが連作を発表。そこから絵本がつくられ、作曲へとつながった◆第五福竜丸の無線長だった久保山愛吉さんはこう言い残した。「原水爆の被害者は私を最後にしてほしい」◆きょう長崎に、投下から77年。その長崎が世界に向け、繰り返し発してきたメッセージ「長崎を最後の戦争被爆地に」◆苦しみや憎しみ、さまざまな感情を抱えながら、絞り出され、託された願いと祈りが「最後に」の言葉に詰まっている◆絵本は読み継がれ、曲は演奏され続ける。託された願いは受け継がれるだけでなく、かなえられなければ。
(私たち)人類が存在する限り戦争は終わらず、核爆弾の恐怖は続くのか◆人類が獲得したコミュニケーションという道具を有効に使えず、自らを破滅に追い込む道具を使用するというのは、あまりにも愚かではないか◆1945年に日本の敗戦を以て、なぜ核爆弾を封印することができなかったのか◆1万発以上のものを抱え込み、どうするのだ。最後は人類の滅亡にならぬよう、世界の為政者はコミュニケーションという道具を利用せよ。
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