“いない誰か”を思う日になりつつある 230809

 25年前の秋、「高校生平和大使」と訪ねたニューヨークの学校での出来事を『水や空(230809長崎新聞)』は思う▲『サバイバー』、「生き残り」と呼ぶのは、皆、死んだはずだ、とか、死んだかもしれないと考えていたからだ▲ナガサキから来た私たちと会ったきょうのことを忘れないで-。被爆者らの口調に力がこもった▲被爆者の言葉の強さと存在感を改めて感じた▲この旅でご一緒した被爆者の森口貢さんが86歳で昨年12月、被爆2世の丸尾育朗さんが75歳で今年の5月に亡くなった▲8月9日。「原爆の日」が“いない誰か”を思う日になりつつあることに、今更のように気づく。
 (私は)思う。歴史は戻れないが、終戦の日がもっと前であったら、長崎や広島に原爆は落とされなかった。いや、もっと前なら・・・▲人類はもう少し賢くなり、被爆体験がなく、戦争体験がなくとも、武力による安心を勝ち取るなどどいう愚かな考えを消し去れないか▲ぐれん隊同士の愚かな戦いに終止符を打てないか。8月6日と8月9日に、「無くなりました」と報告できるのはいつになるのか。