『人に取って代わっていただかねば困る大事な後輩である』

『人に取って代わっていただかねば困る大事な後輩である』<2019年1月8日(火)>
 <かなしみの片手ひらいて渡り鳥>。『筆洗』(190108)は昨年、最も印象に残った句のひとつを挙げる。これはAIの作品である。「花鳥風月、情感という領域でも機械が人に匹敵する力をつけだしている。・・・将来、人に取って代わりそうな機械が少々トチったと聞けば、『まだまだだな』と先輩づらをしたくなる。JR東日本が山手線で行った自動列車運転装置(ATO)の走行実験の話である。・・・記事にあった運転士経験のある職員の感想がおもしろい。『やや下手くそな運転』。・・・『やや下手くそな運転』の早期上達を願う。人口減で運転士の確保もやがては難しくなるだろう。人に取って代わっていただかねば困る大事な後輩である。
 (JN) 列車の運転などのプロの世界では、まだまだかもしれないが、素人の自動車の運転より、AIの運転の方がどんどん上達していくのであろう。おかげで、高齢になり運転免許状を返上しても、自動車に乗って自由に活動することが可能になる。そして、列車の運転も追いつき、追い越すのである。そうすると、私たちは何をすべきなのだろうか。機械労働はAIが引き受けてくれる。もう、私たちは、労働から解放されて、哲学に勤しむことになろうか。ホモ・ルーデンスは、何を考え、何をするのか。考えないと、AIに世界を握られていまうのか。でも、彼らは、何の喜びのために存在しているのであろうか。それは必要ないのか。