『神様、仏様、洗濯機サマ』<2018年1月15日(月)>
電化製品の自動化で私たちの生活は変化してきた。『春秋』(180115)は電気洗濯機の進歩をまずは想う。その当時の主婦は「感動のあまり機械を拝みたくなったという」が、「洗濯機もいきなり脱水、乾燥まで全自動だったわけではない」。さて、自動車はどうであろうか。「勇んで自動車教習所に入ったものの、鬼教官にどなられた屈辱の記憶を持つ方も多いだろう。クルマとはそういうものだったが、自動運転技術の進化は常識を一変させるかもしれない。ボタンひとつで目的地までスイスイ行けるなら、もはや家電である。『神様、仏様、自動運転車サマ』と拝まれるようになるかどうか、今後のイノベーションとルール整備にかかっていよう。クルマはいま、未来から眺めたらどんな段階だろう」。
(JN) 20世紀に未来のと想像していたことが、現実にドンドンなって来ている。そして、今後はどうなっていくのか。自動車や呼び出さずとも自動運転車がどこにでもあるようになろうか。人間は過ちを犯すゆえ、自動化は事故の減少をもたらすであろう。特に、最近増加している高齢者の事故は少なくなろう。年寄りは心身の全てが衰えていくわけで、移動手段として自動運転車はありがたい。有難い。有難い。有難屋。有難屋。自動化がどこまで進み、全自動になるのはいつのことか。所有も個人よりシェアになれば、乗り捨てもできる。そのうちに、どれでも勝手に乗り、顔認証か。「いつものとこ」というだけで、運んでくれようか。便利になるとともに所有に対する価値観も変わってくるかもしれない。