『スポットライトは、舞台の厳しさをわきまえた者・・・』

『スポットライトは、舞台の厳しさをわきまえた者だけに当たる』<2018年9月21日(金)>
 本日は、やはり、自民党総裁選についての話題である。『筆洗』は、羽生善治さんの「棋は対話なり」から話を展開し、「国民の考えに近い地方票が安倍さんをためらったという『一手』に対し『うるさい』ではなく、別の手というべきか、耳を用意していただきたい。異なる意見に傾ける耳である」と。『余録』は、「『圧勝で3選』を期待した安倍陣営のシナリオを狂わせた。・・・求心力を失いがちな最後の任期だ。その最初に圧勝して権力の霊威をため込めなかったのは痛かったろう。・・・課せられているのは人口減少時代への根本的対処や財政再建といった歴史的使命である。もはや無駄遣いできる霊威などないはずだ」と。『春秋』は、「トップでいられる歳月も最長あと3年となったわけである。・・・社会保障の大胆な改革や憲法改正に取り組むと明言はしているが、来年の統一地方選参院選、さらには消費増税と、越えねばならぬ山はひとつやふたつではない。・・・モリカケの混乱や側近の不用意な言動と相まって、美しからざるフィナーレの予兆となりかねない」と。
 (JN) 投票を投じた方々は、なぜにその候補者を選んだのであろうか。悩みに悩んだのか、それとそうでないのか。この6年間の実績と言うのは評価に値するものだったのか。どちらにしても、これは国民のことを考えてのことであったのか、自分の今後を考えてのことであったのであろうか。どう考えても、無責任で汚い行為であることがあったが、もうこれからは生じさせないのか。個人にしても、組織にしても、同じものが引き続き行うのであるから、代わり映えの無い事が続くのであろうか。それとも、今後は美しい安倍さんや麻生さんが現れて来て、国民のために働いていただけるのであろうか。安倍さんたちを国民が、そのまま受け身でおく様では駄目である。美しい日本の内閣のためには、国民の声が大事であり、またそれを聴かせねばならない。隠しごとなく、対話を成立させてスポット来を浴びることを願う。