『#哲学のない国』

『#哲学のない国』<2022年8月29日(月)>
 8月に日本で初めて開かれた子どもの哲学国際学会(ICPIC)の基調講演で、劇作家の平田オリザさんの「日本の教育には哲学という科目がないように演劇もない。これは世界的に見ても特殊な状況だ」との指摘に『下野新聞(220829雷鳴抄)』は思う▼時間をかけた対話が必要な演劇や哲学は軽視されてきた▼演劇では相手がせりふを変えれば、自分もそれに合わせた変化が求められる。自分と他者の言葉をすりあわせる中で、少しずつ自己を変容させていく営みとも言える▼哲学の本質は思考にある。教員から一方的に伝達される日本型の授業は、子どもたちが深く考える機会を損なってきた▼「人はなぜ生きるのか」、互いの考えを語り合い思考を深めていく▼子どもたちは自分の考えは固守すべきものではなく、他者との対話を経て刷新され得ることを知る。揺るぎない自己など実は存在しない。
 (私たち)日本人は人間として思考しているのか? ▼教わったことを覚え、指示通りに動く。それはまるでロボットか。或いは、プラトンの定義なら、それは奴隷ではないか▼日本の教育は、ある意味で「従う国民」作りに成功したのだろうか。どうなの▼「何で」「どうして」。あの子どもたちの面倒くさい質問が消えないような教育が日本に必要ではないか?
#ICPIC
#科目
#哲学
#演劇
#子ども
*画像は「第20回子どもの哲学国際学会」のWebサイトから拝借