『映像という動かぬ証拠がある以上、こういう事態に・・・』

『映像という動かぬ証拠がある以上、こういう事態になるとかえってややこしい』<2018年6月27日(水)>
 米大リーグには、試合開始前に監督が退場になったことがあると、『筆洗』(180625)は伝える。これは前日の審判の判定に対して不満を持つ監督が、その判定がなされたプレーのビデオ録画を渡したために、審判を侮辱したと退場になったという。ところが先日のオリックスソフトバンク戦は、ご承知の通りビデオ判定をした結果が誤審であったことに更に申す。「映像でも見間違えたとあってはリプレー検証の意味はない・・・このままでは審判がファウルと判定した本塁打が記録上に残る。そして、日本野球機構には大量のビデオ映像と眼鏡が届くことになる」。
 (JN) ビデオ判定で間違ってしまう。それを後で謝る。何とも、試合を行っている者には納得がいかないことである。われわれ人間は、心も体も動くので、判定が間違う。これは人間が行う以上避けられない。ここにビデオ判定が入っても、それを見るのは感情豊かな人間である。公平に正確に行っているのだが、間違ってしまうのである。人間がジャッジするからには、諦めるしかなかろう。それとも、こうなったら、ロボットに正確に即座に判定してもらう。それに文句をつけたら、10万馬力の鉄腕で押さえつけられてしまうようにしては如何であろうか。でも、この人間同士の問題は、社会でも起きている虚しさであり、これがゲームの面白さでもあるかもしれない。