『死者たちの声を聞く力をさらに、さらにとぎすまさねばならぬ今日の平和である』<2017年6月23日(金)>
きょうは「慰霊の日」である。各紙は二度と起きてはならぬこの事実を思う。『春秋』は10年前に披露された当時中学2年生の作品を想う。「写真の中の少年 僕の祖父 何を思っているのだろう。壕に閉じこもっていた。絶望的な状況の中、命を落とすことをも覚悟し、母と少年はついに勇気を奮い外に出て行った。頑張って生き抜いてきた祖父 だから今の僕がいる」。『天声人語』は那覇市歴史博物館で開催中の企画展で見た遺品を紹介する。「旧満州から家族へ送った膨大な絵手紙。それが転戦した沖縄で音信状況は一変する。摩文仁の丘を訪ねると、戦没者の名を刻んだ『平和の礎』に刻銘があった。愛する家族のもとに戻れなかった天性の画家の無念をかみしめた」。その沖縄戦のすべての死者の名前を記す「平和の礎」を作った元大田知事の体験を『余録』は伝える。「『ありったけの地獄を集めた』という沖縄戦の渦中で『戦争、戦争……』とひとりごちるしかなかった」。『筆洗』は「沖縄には『艦砲の食い残し』という言葉がある」と伝える。戦火を生き残った人たちのことである。「♪うんじゅん 我んにん/いゃーん 我んにん/艦砲ぬ喰ぇー残さー…>。七十二年たっても止まぬ戦争の響きがある。『艦砲ぬ喰ぇー残さー』という言葉は今も痛みを伴って脈を打っている。きょうは、沖縄慰霊の日だ」。
(JN) なぜ、このような悲惨なことを起こさねばならなかったのか。在ってはならぬことなれど、それは72年前にそこで体験をした人々がいる。この体験を2度と内容に伝えていかねばならない。人は体験から学ぶ。体験を文字で読んでも、なかなか学習できない。体験者の言い伝えには力があるが、それをつなげていくことが難しく、現実味が薄らいでいく。実際の戦争がどんなものであったかは、その体験者しかわからないが、その思いを少しでも我々は引き継ぎ、後世に伝えていかねばならない。歴史は支配者のための記録ではなく、人々の過ちと悲しみを記録し、それを後世に伝えねばならない。日々、私たちはその認識を忘れずいなければならない。そして、今日はまた特別な日である。戦火で亡くなっていった方々の声を聴くような力は私にはないが、その戦火の激しさを思い考えたい。皆さんはこの日をどうお考えになりますか。