『ゲーム依存症、たかが遊びと侮ってはならない』

『ゲーム依存症、たかが遊びと侮ってはならない』<2018年6月24日(日)>
 「電車の中でスマートフォンを操作してゲームに没頭している人を見ない日はない」。『余録』(180624)は、ゲーム依存症を思う。「界保健機関は改訂版国際疾病分類『ICD−11』に『ゲーム障害』を明記する予定という。ICDは日本をはじめ多くの国で死因や患者の統計に用いられており、ICDに掲載された疾病は医療保険が適用されることにもなるので影響は大きい。・・・世界のゲームコンテンツ市場は10兆円を超える。・・・海外ではゲームを長時間やり続けて死亡する例が相次いでいる。酒やギャンブルと違って低年齢に予備軍が広がっていることも心配だ。10代の若者がゲームをめぐるトラブルで友人や家族を殺傷する事件は各国で起きている。たかが遊びと侮ってはならない」。
 (JN) なぜ、必要ないものに依存してしますのか。ゲームではないが、自分も、依存症というか、こだわりというか、行わなくてもよいのに、日々行っていることがある。このSNSも、別に毎日アップしなくたっていいのだが、これをやらないとその日が終わらない。害は、周りの人々に毒を振り撒くという迷惑をかけているが、止まらない、ごめんなさい。依存症で体に悪いものでは、酒であろうか。これも、特に飲まなくても済む。自宅での夕食、酒を飲まなくとも、食欲はあるし、その一日のエピソードは吐き出せる。なぜ飲みたくなるのか、わからない。なんとか、妻のおかげで、休肝日が定められてため、命はまだもっている。悲しいかな、依存症は当該の個人では止められないことであろうから、管理が必要になってしまう。枠を定めて、その中で嗜む工夫を社会が作らねばならないのであろうか。