『キャベツの悲鳴を聞いたことがある』

『キャベツの悲鳴を聞いたことがある』<2017年10月13日(金)>
 「一センチのいい土ができるには、百年かかる」。『筆洗』(171011)は福島県須賀川市の樽川和也さんの父親は言っていた。その父親の久志さんは、福島第一原発の事故により「地元産のキャベツが出荷停止になったとの知らせが入った翌朝、久志さんは自ら命を絶った。出荷できなくなった七千五百株のキャベツは、畑でむなしく育った。大きくなりすぎたキャベツはパリッパリッと音を立て、真っ二つに割れた。和也さんには、それがキャベツの悲鳴に聞こえたのだ。それから六年半。私たちは、どんな方向に、どれほど歩いてきたのか。立ち止まって考えたい、衆院選だ」。
(JN) 資本主義の世界では、人や地域よりも、経済効率を重視する。経済価値尺度で、震災の被害により、使えない土地も人も、価値なきものにされてしまう。ひどいものだ。そこを救うのが政治である。それを行うのは代議士であるが、どうなのだろう。非経済的な原発は何とか動かそうとする。どうなっているのだ。この考えに間違えがないのか、それを審判すのが司法であり、違憲かどうか間違っていないかを示すのが最高裁の裁判官であろうか。さて、その人々に対して、曲り形にも国民の意見を出せるのが衆議院選挙である。その権利を私たちは十分に考え、行使しよう。