『原発事故から6年半が過ぎても戻らぬ古里の味がある』

原発事故から6年半が過ぎても戻らぬ古里の味がある』<2017年10月14日(土)>
 「瑞穂の国の秋」、『春秋』(171014)の筆者はエッセー「食べたくなる本」を読み、その著者である三浦哲哉さんの古里の福島県を思う。「取材で出会った東京電力福島第1原発事故の被災者の顔が浮かんだ。最も懐かしい地元の食は何ですか。『一番の楽しみは、稲刈りの後の泥鰌鍋と熱かん。これは譲れないよ』。三浦さんは、真の美食とは土地に根ざす者が、巡る季節の旬を待ちわびる心と一体のものだ、という。男性の自宅周辺の田畑は除染ゴミの仮置き場だ。原発事故から6年半が過ぎても戻らぬ古里の味がある」。
 (JN) あの時の古里を返して欲しい。古里であり、生活の場であった人々にとって、原発事故から6年、どんな思いであったろう。自然の恵みは素晴らしい。山菜や泥鰌と聞いても、東京の郊外で育った私には古里の味はない。地元の四季や旬味はどうであったか。幼いころの自然の記憶は残っているが、古里の恵を知らない。そこにもその昔は古里古里の味があったろうが、田畑は住宅地になり、互いを知らないニューカマーズばかりの地域となった。どちらも、古里の大事なものを人間自身で無くしてしまった。自然との和に生きた日本が、高度経済成長の名のもとに自然を蔑ろにしてきた。全てが売り物になり、自分たちの心の底から待ちわびる古里の旬がなくなってゆく。それが今の現実である。これからはどうする。