#鎮魂と五輪

『#鎮魂と五輪』<2021年8月8日(日)>
 「鎮魂の8月」に『小社会(210808/高知新聞)』は思う。大学生時代、この時季に帰省すると、両親が当時も高価だった天然ウナギを注文し「食べや、食べや」と口うるさいほどに勧めてくれた。戦時中、二人は学徒動員にかり出されていた。父は日章飛行場で米軍機の襲撃を受け、軍需工場に動員されていた母は原爆とおぼしき強い光を見たらしい。その両親も近年相次いで鬼籍に入った。あのウナギの「食べや」には、二人の飢餓体験があるのではないかと。わが子には同じ思いをさせたくない。まして前線に出陣し、若い命を散らせた学徒の無念さは、いかばかりであったろう。いかにその行為を美化しようとしても、前途ある若者を死に追いやった責任は免れない。被爆、敗戦から76年。戦争体験のない世代が戦争を語り継ぐことは、ますます難しくなっている。だが諦めてはならない。鎮魂と五輪の「平和の祭典」が、ちぐはぐに交差する日本の夏である。
 (JN) 戦争とは政治の延長上にある。五輪が平和の祭典であるならば、五輪も政治の延長上にあるのだろうか。五輪が平和を願う者の集まりであるならば、8月6日に関係者において黙とうをして欲しかった。日本はもっと積極的に黙とうを願うことができなかったのか。日本全体がこの黙とうを行動していれば違ったかもしれない。
#学徒動員
#ウナギ
#米軍機
#原爆
#平和の祭典

f:id:morningstar:20180819101846j:plain