(日経「春秋」2015/1/19付) 萩原朔太郎はよく散歩した。そして、しばしば迷子になったらしい。どこまで虚構か分からないが、短編小説で自らの性癖について書いている。北陸の温泉地でも道に迷い、恐ろしい体験をする。気づくと町の住民がすべて猫になっていた(「猫町」)。米国人は道に迷った体験を恥じるが、日本では違う。気にせず語れる。背景には安全な環境への信頼がある。迷い込んでも危険な場所が少ない。迷子に寛容な「道迷い大国」だという。迷子も車や病が絡むと深刻になる。高齢者による事故や逆走が続発。買い物の足の確保など課題は多いが、逆走車が突然、目の前に飛び出す現実は奇談より怖い。寛容さを残しつつ、車社会のルールを根本から考え直す時期が来ている。
(JN) 高齢者問題は、その人口が多くなるとともに世に多く出るようになったが、これは昔からあったろう。しかし、昔はそれに寛容であったのか、あるいは隠していたのか、出てこなかった。日本では、問題点にふたをしたり、水に流してしまうが、問題が多くなると、それが不可能になる。多くならないうちに問題点を洗い出して対策を準備しなけれbならない。高齢でない者には、高齢者の困難がわからない。また、困難が生じたものは、自分の不自由がわからなくなる。そのわからぬことを早く見出し、みんなの安全を守りたい。
http://www.nikkei.com/article/DGXKZO82091430Z10C15A1MM8000/