医の道はどうも医療側に寛容で、患者に厳しいらしい

医の道はどうも医療側に寛容で、患者に厳しいらしい
(日経「春秋」2015/5/2付) 医道という言葉がある。医療にたずさわる人々に求められるものは何か。患者への誠意であり、邪曲を許さぬ正義感であるのだと、この古めかしい表現は教えていよう。道徳、道理、人の道の「道」である。それを大きく踏み外した組織に、このくらいの懲罰は当然というほかない。東京女子医大病院と群馬大病院、厚生労働省は2施設とも特定機能病院の承認を取り消すという。その看板を外されるのだから相当な仕置きにみえるが、さてどんなものか。東京女子医大病院は2002年にもカルテ改ざんで同じ処分を受けたにもかかわらず、5年後に再承認された。そしてまたこの事態である。行政も病院も神経が太い。厚労省には、医道審議会というのもある。医師免許取り消しや業務停止を答申する機関だ。職業倫理の逸脱に目を光らしているかと思いきや、免許を召し上げられるのは刑事事件で有罪が確定した場合などさすがにこれは、というケースばかりである。医の道はどうも医療側に寛容で、患者に厳しいらしい。
(JN) 病院は、全くどこへ行っても混んでいる。そこにいる医者がどんな医者であろうと。確かに、街中では、藪医者と言われているところは、その込み具合が若干低いかもしれないが込んでいる。それが大病院となると大変である。その道は長い。大勢いの人が様々な病を抱えて長時間待っている。それだけでもう病気が悪化しそうである。更に、やっと来た順番が、実は、次の待合室への移動でがっくり、そしてやっと順番が来た。やれやれであるが、この大量の患者を如何に早く終わらすか、個々の患者のことをどこまで診ているのか、どこも在り来りに速やかに終わる。ひどい医者になると、なんでお前がここへ来たのか、というような態度をとる。彼らは、何処を見ているのであろうか。全ての医者がそうではないが、私たちは、単なる実習や実験の対象なのか、仕方ない臨床作業の対象なのか。医者には、患者の生命を守ることより大切なことが、いっぱいありそうだ。私たちは何を疑い、何を信じてよいのか。
http://www.nikkei.com/article/DGXKZO86394520S5A500C1MM8000/